皇位継承の危機から見た『フランス革命の省察』
~男系派が全然保守ではない23の理由 byケロ坊
第5回 国体を保守すること
18.思いっきりリベラルなことも言ってた保守主義の父
第十章にこう書かれていたのには驚きました。
「民主主義においては、場当たり的な決定がされやすい。これらの決定にたいし、法としての一貫性を与えるには、たえざるチェックが不可欠となる。」
フランス革命をボロクソに言って、左翼からガン無視されてる人が、めちゃめちゃ権力分立でリベラルなことを言ってます。
バークは本の中で全体主義を何度も批判していますし、革命派はただの独裁者の暴君と変わりないと断言しています。
そしてバークの見通し通りに、ロベスピエールの「俺様の崇高な理念に逆らう奴はブッ殺す」の恐怖政治が来た時点でフランス革命が完全におかしかったことは明らかですが、革命好きなリベラルの人がこの総括をしてないのはおかしいですね。
何より終章でバークは「圧政への抵抗と自由の支持」が「私の果たすべき使命」だと明言しています。
ちなみにYouTubeでフランス革命を解説してる動画を見てみると、前提として「フランス革命によって古い封建制が終わって自由や平等という人権が広まった」とかは言うものの、意外と恐怖政治とギロチンだらけのことに触れてたりもします。
ウケる動画にする以上、「教科書に書かれてないけど実はこんな一面があった」とやる方が面白いということもあるでしょうし、何よりおフランス斬首は事実ですから仕方ありません。
学歴秀才っぽい雰囲気の動画になるほど『省察』的な見方がどんどん薄くなっていくので、わかりやすいです笑
何本か動画を見てみると、大体は王室は国が傾くほど贅沢をしていたという見解で、人権宣言は男だけだったことへの言及はなく、ラ・マルセイエーズの血みどろの歌詞の解説もなく、国民公会の右翼左翼の語源の話もなし、という感じでした。
ただしギロチン解説がメインの動画なら、『民主主義という病い』にあるように、処刑はフランス革命時の庶民の娯楽だったということを言ってはいます。
YouTube動画ですらそうなのに、今時「フランス革命最高(=オリンピック開会式のマリー・アントワネットの生首晒し凄い)」とか言う人がいたら、「枯れ左翼」と呼んでいいでしょう。
19.革命派をカルトに例えるバーク
第十一章より。
「 「教会から没収した資産さえあればどんな支払いにも困るはずがない。」こんな狂信的な思い込みのせいで、革命派のペテン師どもは、健全な財政運営の必要性を見事に無視している。ちょうど「錬金術」にハマったアホな連中が「賢者の石」を追い求めたあげく、スッカラカンになるのとそっくりだ。」
カルトな革命派は、不可能なのに旧宮家系男子の皇族化を言い続ける男系派とここでも重なりますね。ダメ押しでどう同じなのかも書いておきます。
「ちょうど「宇宙人による人類救済説」にハマったアホな連中が「宇宙人」を追い求めたあげく、頭がおかしくなるのとそっくりだ。」
「ちょうど「天皇は男系説」にハマったアホな自称保守が「旧宮家」を追い求めたあげく、逆賊になるのとそっくりだ。」
20.男系闇堕ちした石破と、妥協が技らしい野田のことも言われてる
バークは終章でこう言っています。
「いったん迎合に走ってしまったあと、あらためて毅然と正論を説けるはずがない。」
石破に希望を見出していた双系派の人は多いですが、保守主義の父がそれは無理だと言っています。まあ石破は最初から双系派を裏切るつもりだったみたいですね。
またバークは続けてこうも言っています。
「目的が手段を正当化する」と割り切ったつもりでも、逆に「手段が目的を否定する」顛末に陥ることは明白である。」
これも今の状況に当てはめるなら、
「皇統の永続という目的があるから男系派との妥協は正当化される」と割り切ったつもりでも、逆に「男系派との妥協が皇統の永続を否定する」顛末に陥ることは明白である。」
といったところでしょう。
フランス国民公会では、王制を認める人が右翼側に、王制を認めない人が左翼側に座りましたが、これを今の日本で言えば、女性天皇公認の9割の日本国民は天皇制に続いて欲しいと思っているから右翼側に、自民党・自称保守・ネトウヨ・統一協会は男系固執で天皇制を終わらせようとしているから左翼側に座っているということになります。
この状況で「民主主義は妥協の技だから真ん中の席」なんてものは存在しません。続いて欲しいのか、終わらせたいのか。このシンプルな二択です。野田氏にはここをわかっていてもらいたいところです。
21.国体を保守すること
これも終章からです。
「イギリスにおける国家の基本的なあり方、つまり国体は、国民一人ひとりにとって、計り知れない財産と呼びうる」
「既存の国体を保ち、不当な侵害から守るためには、真の愛国心や自由の精神、および自主独立の気概が欠かせない。わが同胞は誇りをもって、「保守」の偉業を果たしつづけるだろう」
「国体の見直しとは、古くなった建物の修復工事を行うようなものだ。」
ここでもバークは男系固執派のようなことは一言も言っていないどころか、国体を保つためにどうやって改善していくべきかを説明しています。
なんなら『フランス革命の省察』は全体を通してどう改善するかを言っている本でもあります。
男系に固執して皇統が滅ぶのと、男系をやめて皇統が続くことの二者択一であれば、後者が保守なのはあまりにも当たり前の話です。
何度も同じことを書いてしまって恐縮ですが、バークのどの言葉をピックアップしても男系派は保守ではないという結論が出てきてしまいます。
22.歴史を省みない“うぬぼれ”
「フランスの革命派諸氏は、自分たちが英知の光に満ちていると吹聴する。
わが国の父祖たちは、そんなうぬぼれとは無縁だった。人間は愚かであり、とかく過ちを犯しやすい――これこそ彼らの行動の前提となった発想である。」
男系派はよく以下のようなことを言ってますね。
「我こそは愛国者なり」「自分は天皇より皇統を知っている」「皇統は男系に決まってるだろ」「皇統が男系と知らない国民はバカだ」
革命派と同じ感覚であって、バークの保守観とは真逆です。
バークは
「過去の世代から受け継いだものは大事にすべきだ」
と言っていますが、これはフランス革命の暴挙を受けての発言であり、王室の存在そのもののことを言ってるのだから、日本人としてはストレートにそのまま皇室の永続のことを言っているんだなと捉えるのが常識です。
しかしここにムリヤリ「男系」を当てはめようとするのが異様な男系派ですが、完全に間違いです。
23.頭山満との共通点
『省察』の締めの言葉はこちらですが、最後にどこかで見た言い回しが出てきて驚きました。
「自由も度を過ぎれば、社会という船を一方にばかり傾け、転覆させてしまう危険をはらむ。そんなときは、わが理性の錘(おもり)を反対側、すなわち秩序のほうに移したい。この錘はささやかなものにすぎないが、揺らぎかけたバランスを少しでも回復したいのである。」
『大東亜論』で紹介されている頭山満の言葉は、
「国家というものは、一つの大きな乗り合い船のようなもので、片方できれいな花が咲いていたり、景色がよかったりすると、皆そのほうに集まり、そのために船は傾き、ついには船が転覆する。だから俺はいつも人の行かぬ側の舷に頑張って船を傾けないようにしたいと思っている。」
『省察』の中には「伝統を踏まえたバランス感覚」という言葉もずばり出てきます。これは訳者が西部邁から影響を受けたからなのか、原文にもあるのかは調べてみたいです。
以上、23項目も書いてきましたが、やはり肝心なのは、バークが“保守主義の父”であるのは、歴史の連続性としての王室を守ろうとしたからで、左翼の逆張りが目的だったわけではないということです。
なぜ念を押すかというと、今の日本も改革ブームだとか、日本のコロナ対策がなってなかったとかのノイズが聞こえてしまうと、もともとバークが言いたかった「君主制の保守」からどんどん離れていってしまうからです。
何より今は日本の天皇制、立憲君主制を保守するために、男系派による共和制への移行に反対するためにこの記事を書きました。
エドマンド・バークの問題提起を虚心坦懐に読めば読むほど、いま日本にのさばっている男系派は左翼の逆張りをしてるだけで、皇統を守ろうとは全くしていないニセの保守であり、本質は左翼で革命派であることが再確認できます。
男系固執の石破自民党は皇室を消滅に追いやっており、君主制を終わらせたフランス革命政府とやってることが変わらない極左の集団です。
『フランス革命の省察』には他にも今に活かせる考え方が沢山あり、230年前にこれを書いた保守主義の父はさすがだと思いました。
同時に、左翼の逆張りを保守としたり、執着や固執をしたりするのは、バークの主張を1ミリも理解してないニセ保守の行為なので、もういい加減に止めましょう。
【ざっくりとした年表(ギロチンだけに)】
1778年 ルソー死去
1789年 7月 バスティーユ襲撃でフランス革命勃発、8月 “男だけ”の人権宣言、10月 国王一家パリ連行
1790年 11月 『フランス革命の省察』刊行
1793年 恐怖政治開始。ルイ16世とマリー・アントワネットがギロチンでおフランス斬首
1794年 ロベスピエールもおフランス斬首で恐怖政治が終了
1797年 バーク死去
1799年 ルソーに心酔してたナポレオンが政権奪取で「革命は終わった」
1853年 黒船来航
1867年 明治維新
【バックナンバー】
第1回
プロローグ
1.保守は逆張りではない
2.言葉の中身、論理の有無
第2回
3.設計図の欠陥を指摘すること
4. 「人権はヤバイ」と230年前から言われていた
5.「国をどう動かしていくか」という国家観
6.王と伝統との関係
第3回
7. 王室や伝統だけでなく、キリスト教も弾圧して貶めたフランス革命
8. 「Revolution」は全然カッコいいものじゃなかった
9. 「理性主義」の危険さ
10. 福澤諭吉との共通点(保守としての生き方)
11. 革命派の女性差別に怒る保守主義の父
第4回
12.「オレ様が啓蒙してやる」という態度は非常識なもの
13.固執と改善の話
14.『コロナ論』との共通点
15.愛郷心の大事さ
16.「自由」の意味
17.固執は無能の証
というわけで全23項目、230年前のイギリスから、今の日本に向けて書いたんじゃないかと錯覚しそうなほどに当てはまることばかりなことに驚きの連続でした。さすが、名著とは時代を超えた普遍性を持つものだということを実感します。
そしてもうひとつ実感したことが、右も左も「知識人」という人たちが誰もこの本を読んでいないか、読んでも全然理解ができないかだということです。
せめてこの本がちゃんと読めていれば、無駄な議論に時間を費やす必要もなくなるのにと思うのですが、やはりそれは無理なことなのでしょうか?